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最近よかった本

 

世界一しあわせな子育て

世界一しあわせな子育て

 

 『おむつなし育児』の本で感激したクリスティンさんの2冊目。

 

今回もとってもとっても良かった!

子育てのやり方って人それぞれ、以上に、国や文化、流行によって規定されている。だからおそれることはないんだ、自分でいいと思うように、きちんと情報を吟味してよく話し合って、自分の中の価値観を育てて行けばいいよ、と、親自身が自分を育てる事を応援してくれるような本。

 

この本では、アメリカ人ーーアメリカ的子育てしか知らず、それを相対化する視線を持たないごくふつうのアメリカの親たちに、いろいろな国のいろいろな子育ての仕方について情報提供をしながら、クリスティンさんの自分なりの考えがそこかしこに出てくる。韓国系アメリカ人で、4人のお子さんのうち2人を日本で育てたクリスティンさんの語る「日本の子育て」は、ある意味少し前の子育てなのかもしれない。東京の子育ては、この本で語られるよりはアメリカ化(消費社会化といってもいいです)しているようにわたしには思えるから。乳児期は添い寝して一緒に過ごし、育ってきたら適度に放っておき、食べものと挨拶まわりはしっかりしつけ、ものを大切に、自己信頼を育てる、、そういう「日本のふつうの子育て」のよさが語られている。

そっか、とにかくこの子を信じよう、あとは大丈夫、そう思わせてくれる一冊。

 

結局親のわたしができることなんて、身の回りのお世話ができるようにすることと、子どものなかのうつくしさが花開くことをせいぜいじゃましないことぐらいなのだ。わたしはボーダー着てオザケン聴いて家ではラジオ生活だけど、娘は筋金入りのメタル好きでバンド追っかけて超絶テレビっ子になるかもね。でもね、そんなもんだよね。みたいな。なんのはなしか。

核家族のかなしみ

6か月、もうじき7か月の娘は、ちょこちょこと風邪をひいたり皮膚炎になったりしながらも、つよくたくましく生きている。ほがらかそうに、時に意地悪っぽく(これはわたし似)わらうところをみていると、困ることなんてないよな、と思う。

 

小学生のときに、過疎化についての本を読んでいて、おばあちゃんにいったことを今でも覚えている。「わたしは都会にはいかないよ! ずっとここにいる。」そういったのにな。いつか帰っておばあちゃんと子育てするつもりだったんだけどな。ごめんね。

 

その気持ちがずっとどこかに残っていて、いまでも、都会で子育てすることそれ自体にひっかかる部分、反抗的な部分がある。うちの前は公園なんだけど、そこに綺麗な格好をしたおかあさんたちがこどもをずっと見ているのをみて「えっ、子どもだけで遊ばせたらダメなの?」って勘違いしたり。そろって紺色の、制服みたいなお迎えのお洋服を着た付属校の保護者たちをみて「?」となったり。でも一方で、のびのびやればいいんだ、ということがひたひた、波のように足元から安心と一緒になってやってきて、落ち着いてる部分もある。いつだって気持ちはあいまあいま、だ。

 

わたしは実家は遠いけどやりとりは多いし、義理の父母は電車で約1時間のところだから、かなり恵まれていると思う。行き来も多いしね。でもときたま、誰かがずっと家にいて、一緒に育ててくれたらなと思うことがある。

 

子育て中の主な養育者は、子どもとわたしが世界の中心だ。仕事をしてきた人なら特に、この子を育てる、ということが、ミッションのように感じられることがあるだろう。まるまる1日のなかで、ほんのささいな成長もあれば、失敗もあるし、悲しい事、やりきれない瞬間、どうしたらいいかわからないこと、、そういうことが、山のようにある。仕事だったら同僚も上司もいるし、みんなで舟に乗れる。もちろん家族だって同じ舟に乗ってるんだけど、いかんせん同じように一緒にいるわけではない。となると、そういう山のような微細な感情の動きを、誰かが見てくれる、ということが、核家族だとありえない。たとえば同居している誰かがいたら、ずっとはいなくても、人の気配が家のなかに残る。その気配がわたしをみてくれる。でも、大人ひとりだと、家を満たすのが自分の空気だけしかない。いきおい、人の気配がほしくて、デジタルなものやメディアに頼ることもある。

 

一緒に住む人は、別に子育ての方針が合わなくてもいい。彼女との違いで自分を発見するから。できれば女性がいい(気づくポイントや共感力は、やっぱり性別が同じ方がいいとわたしは感じてる。)。世代が違うほうがいい。子育ての常識なんてすぐに変化するってからだでしみてわかっている人のほうが、こっちも気がらくだ。要するに自分を外から見る視点がほしいのだ。

 

もうひとついえるのは、子育て中のおかあさんたちは、ひとりひとりが小宇宙のようなもので、自分のこどものことをやっぱり一番に考えてしまうものだってこと。太陽系における太陽みたいなもの。だから、太陽に合った星の配置になるし、その子に即した行動や対処になる。一般解はない。誰かと比べても無駄。だからこそ、「うちの子にこれでいいかな?」とおもったときに「いいんじゃない」と、背中を押してくれる子育ての先輩にいてほしいのだ。夫はもちろんのこと、親とか義理の両親に対しては、子どものことを相対化する必要がない。自分の子にとって一番の選択肢はなにか堂々と議論できるし、自分なりのあり方について話し合える。子育てって本当に、正解がないからね、、、仕事の仕方、人生の運び方と同じだと思うんだけど。王道はある。わたしは美しいかどうかを基準に考えますとか、健やかさを大切にとか、人生の全部が出る。

だからこそ、一緒になって、「この子」を中心にしてくれる会話をしたいのだ。もちろんわたしは夫とはそれができているし、義理の両親も実の親もみんな優しい。でももし一日に一回でも顔を見て、今日はこんな感じだね、ぐらいの行き来があったら、どんなにかいいだろうと思う。その瞬間だけは「この子」100パーセント、であるような時間。そうして同じだけ「わたし」100パーセント、の時間があるといい。一週間に2時間ぐらい、それがここにあるといい。

 

そんなわけ(だけでもないけど)ご近所さんがいっぱいいる、近くの長屋に引っ越すことになった。二年間暮らしたいまの家に、ゆっくりじっくりさよならと感謝を伝えているところ。

 

 

落ち着いてきました

愛着のあったはてなダイアリーから、広告をよけてブログにお引っ越ししてきました。

ダイアリーのままで飛べるので、こちらにどうぞ。

 

最近ようやく、落ち着いて本を読む、読みたい、という気持ちになってきた。

もうすぐ雨の季節がはじまるのも、うれしい。

知識を得る/エンパワーメント

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  もうじき6か月の娘はわりに落ち着いている、と評されることが多い。あまりパニックも起こさないし、今のところお出かけも、家にいるのも、ともにたのしそう。だいたい機嫌がよい。おかげさまでとても楽させてもらってるな、といつも思う。

 今日夫と話してたのだけど、もしかしたらその原因の一つには「生まれてからおかあさんと離れたことがほとんどない」からかもね、と。もちろん夫にちょっと預けて整体いったり、夫の両親に預けて出かけたり、いろいろしているのだけど、生まれた直後に「病院の方針で」*1「母子の意志に反して」離したり、ということは、ありがたいことに、経験しなかった。

 わたしのいた病院(超おすすめ!!)は、産前産後のケアがとってもしっかりしていたのね。妊娠中から、母乳についてのクラスがあり、
◎母乳育児は誰にでもできるけど、訓練が必要
(吸う方も吸われる方もはじめてだから)*2
◎産後一週間の入院中に、母乳の訓練や沐浴など
 きめ細やかにフォローして、退院後もいつでも電話で相談オッケー
というところだったの。

 母乳クラスでは、1時間に1回もざら、という母乳のペースに最初かなり驚いた。24時間びっしり「母乳/ミルクほか/おむつがえ」のチェックがされた日程表をみて、出産がおわりじゃないんかい! というのがそこでひしひしとわかった気がする。個室にふたりで同じベットに寝ていたんだけど、確かに慣れるまでは母子ともに大変だった。最初の2、3日は全然出ないしねえ。けど、その一番大変な間、昼夜問わず助産師さんがサポートしてくれて、ちょっとした話し相手にもなってくれ、また、産後のつかれたからだにじんわり染み渡る滋養のある和食を出してもらい、そして何より「今頑張ってコツをつかめばらくだよ」とはげましてもらった。こればっかりは体質もあるとは思うけど、おかげさまで母乳のトラブルは一度もなく、母子ともに健康で過ごしている。こうも順調なのは、そこで「知識を得る」というのと、「わたしにもできるんだ」という自信をつけさせてもらったからだと思う。そのほかにも妊娠中から、冷え性だと逆子が多いよとか、眠る時間に気をつけてねとか、エビデンスをもったサポートをすごくしていただいた。そうして、徐々に徐々に、「できることはがんばろう、でも、おもいどおりにならないこともあるし」という塩梅を身につけてきている気がする。

 現代の都市生活をふつうにしていると、妊娠出産については結構逆行しているというか、思うようにならない、と思うことが多いかもしれない。ただ、人間のからだって何万年も変わってないわけだし、からだにしたがう、という姿勢が求められる気もするのね。自然分娩を「自然に」=なにも考えず工夫せず、というわけではないから。だからこそ、知識を得て、empowerされることがすごく大事な気がしています。

 こういう出産や育児について、すごくすごく思う事はあるのだけど、とっても書きにくいのも事実です。なぜって、わたしのなかにかなりはっきりした意見はあるのだけど、何の専門家でもない、ただ自分固有の経験と勉強があるだけだから、、、。そして「A」と書く事で、「Aでない」ひとたちを否定してはしまわないかと気が気でもないので。周囲のおかあさんたちの顔がちらついたりとか、、本当に個人差や、人生まるごとの経験や価値観があるだけだから、ものすごく勇気がいるんだよな。でも、ただフラットに思う事を書きたいだけなの!! それをちょっとトライしていこうと思っています。

 ちなみに行っていた病院は「聖路加産科クリニック」です。ちょうど助産院と病院の間みたいなところで、助産院的な、健康な妊婦さんへの細やかなアプローチと、エビデンスに基づいた指導と、医療的なサポートを受けられます。なにより、本当に妊婦さんと生まれてくるこどもたちをいちばんに考えてくださるところでした。東京でお産したい方、ちょっと距離があってもめちゃめちゃいいので、おすすめですよ!!

*1:医療的な理由で離れることはしています。たとえば検査とか

*2:こちらのサイトをおすすめしてもらいました ラ・レーチェ・リーグ日本

昔の暮らしがらくでいい

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 子育てをしていて気づくこと。それは、いわゆる「昔の暮らし」最強! ってこと。
 
 フローリングより畳がいい。なぜなら赤ちゃんが寝返りしても痛くないから。冬も敷物いらずだし、はいはいしたくてずりずりしても、爪がへんに削れる事もないから。ベビー用マットは石油製品だけど、畳なら草だから、自然の甘みもにおいもある。
 ベッドより布団がいい。赤ちゃんと添い寝しても、「落ちたらどうしよう」と思うこともなく、上下左右自由に動けるから。
 クッションより座布団がいい。のせたらなんかご機嫌になるから。
 
 そうしてさらに、ちょこっとおむつなし育児を取り入れているのだけど、とにかくこれがおもしろいのです。
 最初わたしはよしもとばななさんの本でおむつなし育児をしている夫婦の話が出てきて、そのときは「おむつなし? てことは裸? え??なんか原始的、、、」と思って無視していたのだけど、実際は「赤ちゃんの排泄のサインを読み取り、できるだけトイレやおまるでさせて、お尻をきもちいい状態にたもつ」というものです。やりたい方にはこの本がおすすめ。

おむつなし育児―あなたにもできる赤ちゃんとのナチュラル・コミュニケーション

おむつなし育児―あなたにもできる赤ちゃんとのナチュラル・コミュニケーション

ここにあったのだけど、
◎動物の赤ちゃんと同じで、人間の赤ちゃんも、本当は排泄したらすぐにきれいにしたい本能をもっている
(なので、おむつをはずしたらそそうをする、お風呂のなかでそそうする、というようなことが新生児のときは多い)
 →おむつをしっぱなしで、おむつのなかにすることにやがてなれてしまうそうです
◎おむつのなかでの排泄を一回覚えさせたあと、もう一回トイレにすることを覚えさせるのは、負担が大きい
というのに納得して。でもって、布おむつやってみたいな、と昔ドゥーラさんにお話をしたら「おまるがあるといいよ」と教わったので、試しに買って、はじめてみました。

 そうしたら!
 意外と、できたのです。びっくり。だいたい排泄のタイミングって決まってる(朝1、おっぱい後)なので、そのあとおまるにのせてみるとすぐにできてみた。そうして、できると、なんか気持ち良さそうな顔するんだよな〜。そのあとのご機嫌ぶりが予想以上に加速したの! そうして、「おなかすいた」以外の、また違うあたらしいサインをお互い読めるようになると、とにかく、コミュニケーションが一段深まるのですよ。それが、可愛くてしょうがない(親ばか)。一緒に布おむつもはじめたので、とにかく洗う手間を1枚でも減らしたくて、そういう意味でも役立っていますが、とにかく、お互いの呼吸がより合ってくるのがうれしくてしかたない。気持ち良さそうだし。こんなにおもしろいものだと思わなかった!! 
 
 布おむつしかなかったころは、だいたいおまると併用したりしながら、1歳ごろにはおむつが外れていたそうです。とはいえ、いきなり全くできなくなる日もあるんだけどね。夜は紙おむつだしね(眠いから。わたしが)(眠いと何もできないので、とにかく寝ることを最優先に日々送ります)。

 あたらしい家ってみんなマンションで、和の暮らしの逆を行く事が多いんだよね。せっかくいいものがあるのにな。都市化(グローバル化)ってなんなんだろうな、と考えたりする。


 

神様はみてる

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 主婦なのでちょっとぐらいさぼろうと誰も見ていない。夫も家事に寛容なのでどうこう基本的にはいわない。でも、やるべきことをやらないでいると、確実に何かが傷つく。それは、自分の中の誰かがひっそり眉をひそめるような感覚。子どもに対してもそう。体調があまりよくないと、こどもにチューニングをあわせることができなくて、いつもよりもちょっと泣かせてしまったりする。おむつがぬれてるのに気づけなかったりとか、おっぱいのタイミングを間違えたりとか。子ども自身はけろりとしてることも多いんだけど、わたしはちょっとくやしい。それはたぶん、自分の内側にいるなにものかと、神様のようなものがつながっているからだろう。自分は自分をずっと見ていて、あれこれといいたがっているからだろう。

 かぼちゃの煮物をことこと煮たら、ちょっと軽い気持ちになった。