読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ブログ、古巣に帰ります

ど、どうにも使いづらくなれないので、古巣のはてなダイアリーに戻ります。

 

一週間ぐらいでこちらのデータは消えますです。

ごめんなさい!

 

戻るのはこちら

ものがたり百科

最近良かった本/ミニマル子育て

娘、9か月。一ヶ月ぐらい前は、「なんで離乳食をこんなにも食べないのか」と悩んでいた。友人が「おかあさんといっしょのものたべたいんじゃない」といってくれて、わたしのを取り分けてあげたら眼を見張るように食べだした。いまでは「そのこめはわたしのだ」「ピーマン食うな!」「あー、そのメロン、わたしの」と、0歳児と食事を競い合っている。なんだこの牧歌的な日常は。

 

さてさて!

 

ミニマル子育て

ミニマル子育て

 

 

この本がめっちゃめっちゃ、良かった!!

作者は、シュタイナー教育での実践をヒントに、暮らしをシンプルにすることで子育てがもっとゆったりと、得難いものになる、と説くキム・ジョン・ペインさん。

シュタイナー教育の考え方をベースにしながら、誰もが夢見る「あたたかでゆったりとした、牧歌的なこども時代」がいま直面している現実と、夢見るようなこどもの魂を大事にするための具体的な方法を「環境」「リズム」「スケジュール」などの項目にそって丁寧に解説しています。

個人的にも、産後1ヶ月でデパートのこども売り場にいったとき、あまりにちかちかめまぐるしいものが多くってびっくりしたんだよね。なにもかもを1から経験するこどもたちには、大人よりずっとずっと削ぎ落とした、素朴な色やかたち、五感にうったえるもので十分のはず、と思っていたのだけど、それは本当なのかも、と自信をもてた。また、毎日違う絵本を読むよりも、2週間ぐらい続けて読むほうが反応がいいな、なんて思ったりもしてたんだけど、こどもは安心できるリズムが好き、というので、納得。

 

日本語訳もとても美しく、購入してからもずうっと枕元とかばんにいれてる。こどもにとってシンプルでやさしいということは、このしっちゃかめっちゃかになりがちな大人の暮らしも同様のはず。いまちょうどあたらしい日常のために暮らしのリズムとスケジュールをととのえているところだったから、よけいに響いてる。家のなかは、家族全員が誰に聞かないでもぱっとものが置けて、戻せて、きれいな空間にしたい。どこをながめても気持ちの良い空間と、想像力の働く空白をつくっておきたい。

 

この本の優秀なところは、シュタイナーの考えかたが、現代的な生活との比較から、その根本たる部分からすっと理解できるところにもあると思う。ああ、できるなら、著者に来日を呼びかけたい! 英語でコメントしてみようかな! そのぐらい、だい、だい、大好きな一冊。

最近よかった本

 

世界一しあわせな子育て

世界一しあわせな子育て

 

 『おむつなし育児』の本で感激したクリスティンさんの2冊目。

 

今回もとってもとっても良かった!

子育てのやり方って人それぞれ、以上に、国や文化、流行によって規定されている。だからおそれることはないんだ、自分でいいと思うように、きちんと情報を吟味してよく話し合って、自分の中の価値観を育てて行けばいいよ、と、親自身が自分を育てる事を応援してくれるような本。

 

この本では、アメリカ人ーーアメリカ的子育てしか知らず、それを相対化する視線を持たないごくふつうのアメリカの親たちに、いろいろな国のいろいろな子育ての仕方について情報提供をしながら、クリスティンさんの自分なりの考えがそこかしこに出てくる。韓国系アメリカ人で、4人のお子さんのうち2人を日本で育てたクリスティンさんの語る「日本の子育て」は、ある意味少し前の子育てなのかもしれない。東京の子育ては、この本で語られるよりはアメリカ化(消費社会化といってもいいです)しているようにわたしには思えるから。乳児期は添い寝して一緒に過ごし、育ってきたら適度に放っておき、食べものと挨拶まわりはしっかりしつけ、ものを大切に、自己信頼を育てる、、そういう「日本のふつうの子育て」のよさが語られている。

そっか、とにかくこの子を信じよう、あとは大丈夫、そう思わせてくれる一冊。

 

結局親のわたしができることなんて、身の回りのお世話ができるようにすることと、子どものなかのうつくしさが花開くことをせいぜいじゃましないことぐらいなのだ。わたしはボーダー着てオザケン聴いて家ではラジオ生活だけど、娘は筋金入りのメタル好きでバンド追っかけて超絶テレビっ子になるかもね。でもね、そんなもんだよね。みたいな。なんのはなしか。

核家族のかなしみ

6か月、もうじき7か月の娘は、ちょこちょこと風邪をひいたり皮膚炎になったりしながらも、つよくたくましく生きている。ほがらかそうに、時に意地悪っぽく(これはわたし似)わらうところをみていると、困ることなんてないよな、と思う。

 

小学生のときに、過疎化についての本を読んでいて、おばあちゃんにいったことを今でも覚えている。「わたしは都会にはいかないよ! ずっとここにいる。」そういったのにな。いつか帰っておばあちゃんと子育てするつもりだったんだけどな。ごめんね。

 

その気持ちがずっとどこかに残っていて、いまでも、都会で子育てすることそれ自体にひっかかる部分、反抗的な部分がある。うちの前は公園なんだけど、そこに綺麗な格好をしたおかあさんたちがこどもをずっと見ているのをみて「えっ、子どもだけで遊ばせたらダメなの?」って勘違いしたり。そろって紺色の、制服みたいなお迎えのお洋服を着た付属校の保護者たちをみて「?」となったり。でも一方で、のびのびやればいいんだ、ということがひたひた、波のように足元から安心と一緒になってやってきて、落ち着いてる部分もある。いつだって気持ちはあいまあいま、だ。

 

わたしは実家は遠いけどやりとりは多いし、義理の父母は電車で約1時間のところだから、かなり恵まれていると思う。行き来も多いしね。でもときたま、誰かがずっと家にいて、一緒に育ててくれたらなと思うことがある。

 

子育て中の主な養育者は、子どもとわたしが世界の中心だ。仕事をしてきた人なら特に、この子を育てる、ということが、ミッションのように感じられることがあるだろう。まるまる1日のなかで、ほんのささいな成長もあれば、失敗もあるし、悲しい事、やりきれない瞬間、どうしたらいいかわからないこと、、そういうことが、山のようにある。仕事だったら同僚も上司もいるし、みんなで舟に乗れる。もちろん家族だって同じ舟に乗ってるんだけど、いかんせん同じように一緒にいるわけではない。となると、そういう山のような微細な感情の動きを、誰かが見てくれる、ということが、核家族だとありえない。たとえば同居している誰かがいたら、ずっとはいなくても、人の気配が家のなかに残る。その気配がわたしをみてくれる。でも、大人ひとりだと、家を満たすのが自分の空気だけしかない。いきおい、人の気配がほしくて、デジタルなものやメディアに頼ることもある。

 

一緒に住む人は、別に子育ての方針が合わなくてもいい。彼女との違いで自分を発見するから。できれば女性がいい(気づくポイントや共感力は、やっぱり性別が同じ方がいいとわたしは感じてる。)。世代が違うほうがいい。子育ての常識なんてすぐに変化するってからだでしみてわかっている人のほうが、こっちも気がらくだ。要するに自分を外から見る視点がほしいのだ。

 

もうひとついえるのは、子育て中のおかあさんたちは、ひとりひとりが小宇宙のようなもので、自分のこどものことをやっぱり一番に考えてしまうものだってこと。太陽系における太陽みたいなもの。だから、太陽に合った星の配置になるし、その子に即した行動や対処になる。一般解はない。誰かと比べても無駄。だからこそ、「うちの子にこれでいいかな?」とおもったときに「いいんじゃない」と、背中を押してくれる子育ての先輩にいてほしいのだ。夫はもちろんのこと、親とか義理の両親に対しては、子どものことを相対化する必要がない。自分の子にとって一番の選択肢はなにか堂々と議論できるし、自分なりのあり方について話し合える。子育てって本当に、正解がないからね、、、仕事の仕方、人生の運び方と同じだと思うんだけど。王道はある。わたしは美しいかどうかを基準に考えますとか、健やかさを大切にとか、人生の全部が出る。

だからこそ、一緒になって、「この子」を中心にしてくれる会話をしたいのだ。もちろんわたしは夫とはそれができているし、義理の両親も実の親もみんな優しい。でももし一日に一回でも顔を見て、今日はこんな感じだね、ぐらいの行き来があったら、どんなにかいいだろうと思う。その瞬間だけは「この子」100パーセント、であるような時間。そうして同じだけ「わたし」100パーセント、の時間があるといい。一週間に2時間ぐらい、それがここにあるといい。

 

そんなわけ(だけでもないけど)ご近所さんがいっぱいいる、近くの長屋に引っ越すことになった。二年間暮らしたいまの家に、ゆっくりじっくりさよならと感謝を伝えているところ。

 

 

落ち着いてきました

愛着のあったはてなダイアリーから、広告をよけてブログにお引っ越ししてきました。

ダイアリーのままで飛べるので、こちらにどうぞ。

 

最近ようやく、落ち着いて本を読む、読みたい、という気持ちになってきた。

もうすぐ雨の季節がはじまるのも、うれしい。